「織戸学がスープラ愛を語る!」最初の出会いはオービスを光らせて最悪の印象しかなかった!?

MAX織戸のスープラLIFE

チューニング界で“Mr.スープラ”と言えば、MAXの愛称で知られる織戸学を置いて他にはいない。1991年に富士フレッシュマンでレースデビューをしてからの長いキャリアの中でも、GT500やD1GPをJZA80スープラと共に戦っていた姿は今でも印象的なものだ。今回はそんな“Mr.スープラ”を直撃し、スープラへの思いを語ってもらった。

「80とGR、ベースは異なっても改造の本質は同じだよ」織戸学

スープラとの最初の出会いは1994年のこと。坂東商会の社員だった時で、RS☆Rのデモカーを名古屋から東京まで自走で運ぶように言われたんだよね。

確か、あの頃の愛車はS14シルビアだったと思うけど、その感覚でアクセルを踏んだら“ピカッ!”そうオービスを光らせちゃったんだ。当時としては最高級のスポーツカー、しかもアッという間に180km/h…。驚きと共に痛い思いをしたこともあって、あまり良い印象ではなかった。

そのイメージが大きく変わったのは、やっぱりGT500でスープラに乗ったこと。レースと同じクルマを普段の足としても乗りたくて、80スープラを買ったんだ。その後はD1グランプリにも80スープラで参戦するなどして、スープラへの愛着はどんどん高まっていったよね。そうなるに連れて、チューニング界で“ミスタースープラ”のイメージも強まっていったんじゃないかな。

80スープラの魅力は、まずはポテンシャルの高い2JZエンジン、そして今乗っても十分に満足できる質感の高さ。だけど、どうしても納得できない部分があった。それが“ノペッ”としたスタイリング。

そこで、坂東商会の近くにあったことで知り合ったエアロパーツメーカー「バリス」とタッグを組んで『RIDOX』のエアロパーツを作ったんだよ。

イメージしたのはGTマシンのカッコ良さ。オレ自身がイメージスケッチを描いて、シコシコと発泡スチロールを削りながら理想のスタイルを追求していった。その熱い想いがスープラ乗りのみんなに伝わったのか、RIDOXのエアロは80スープラの定番とまで言ってもらえるようになったんだよね。

残念ながらオレが最初に乗っていたスープラは、2012年に投入した86ベースのD1車両の製作資金を作るために手放してしまって、今の赤い80は7年くらい前に手に入れたんだ。それを、再びイチからセットアップして現在に至るって感じ。

もう1台の白い方は、大人がストリートでも乗れる仕様をコンセプトにエアロパーツも下回りだけにして、ノーマルの雰囲気を残したファインチューンにしてみた。

なんか、織戸の愛車=赤のイメージがあるみたいなんだけど、実際のところはそんなこともなくて、最初のスープラなんて回数が分からなくなるほど色々なカラーに塗り直している。といっても、無意識のうちに赤にしちゃうことは多いかも。その理由は多分、子供の頃に流行っていた山口百恵の“緑の中を走り抜けてく真っ赤なポルシェ~♪”の影響だね(笑)。

というわけで、2019年に復活したA90型のGRスープラも、オレが選んだのはやっぱり赤だった。まあベースがBMWってのはともかく、シートに収まった時のインパネやセンターコンソールとの一体感は80に通じるものがあるよね。

そして最初に見て驚いたのが、リヤフェンダー周りのデザイン。何がってさ、RIDOXのラインにそっくりじゃん。正直「いやぁ、これはトヨタがパクったね」って思ったよ。

だったらそれ以上にカッコ良いA90スープラを仕立ててやろうって気持ちで作ったのが、オリジナルの『MAX ORIDO × AKEa SUPRA STYLE』というエアロキットなんだ。

今じゃエアロもコンピュータでデザインできる時代だけど、それじゃ本当に納得できるものは作れないというのが持論。だから新型でも昔と同じように、オレが書いたデザインを元に、ミリ単位の細かなラインにまで拘って理想のスタイルを追求した。

知らない人が見たら「ノーマル?」って感じなのに、実際はフロントからリヤまで全て変わっているフルエアロ。都会にも違和感のない、さりげないカッコ良さを狙っているんだ。

ストリートを走り回っていた小僧時代や、レース界に飛び込んだのがついこの間の事のように感じるけど、現場ではオレより年上のドライバーなんて数えるほど(笑)。

2年くらい前に買った古いポルシェでノンビリと走るのも楽しいなぁなんて思える歳になったけど、青春時代を一緒に駆け抜けてきたスープラとの生活は、まだまだゴールが見えないよ。

●PHOTO:堤 晋一 REPORT:川崎英俊

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