「ミスタースカイラインの素顔」天才ドライバー『長谷見昌弘』の生き様

2輪から4輪に転向し、フォーミュラ、スーパーシルエット、Cカー等あらゆるカテゴリーで輝かしい戦績を残してきた、国内屈指の天才ドライバー“長谷見昌弘”。日産モータースポーツ界のレジェンドと呼ばれる男の生き様に迫る。

長谷見昌弘は一度も「練習」をしたことがない!?

どんな少年でしたか?

あまり大きな声じゃ言えないけど、勉強しないでバイクばっかり乗っていましたよ(笑)。

僕の実家は、青梅の織物業だったんです。商売の都合もあって、家には自動車とバイクが必ず何台かあったんですよ。自動車は、ずいぶん小さい時から乗せてくれました。子供なんで脚が届かないから、親父がペダルを踏んで僕がハンドルを持ってね。

信じられないでしょうが、中学校の時には自動車部があったんですよ。

ある人がクルマを寄付してくれて「自動車部を作ったら?」ってね。それで校庭に白線引いて、先生が教えてくれました。クルマはダットサンの小さいトラックだったかな。今じゃ、クルマで校庭走ったら大騒ぎになりますよ。良い時代でしたね。

モータースポーツとの出会いは?

僕の地元に、青梅ファントムクラブという2輪のツーリング+レースをやろうというクラブができました。まだ鈴鹿も富士も無い時代、僕の兄貴がそこに入ってね。兄貴はレースはやらなかったけど、その仲間がレースに出る時にはついて行って見ていたんですよ。

当時はサーキットなんか無いから、米軍基地とかでやってましたね。横田基地とか所沢のジョンソン基地(現・入間基地)、青森の三沢、九州の雁ノ巣とかね。あと、宇都宮に旧日本軍の飛行場跡があった。凄く荒れた路面だったけど、そこでもレースやったなぁ。

まだ日本にモータースポーツって言葉すらなかった時代。とにかく、みんなで集まってやろうとね。僕は中学生だったから自分は乗らなかった。でも、眺めているうちに「アレだったら俺の方が速く走れるわ」って。で、はじめてみたわけ(笑)。

それで、やってみたら勝ちまくった。最初は自分のバイクだったけど、半年後には東京発動機からワークスマシンを借りて全日本選手権に出場。いきなり出て勝てたから、それからお金は一切かからなかったですね。

僕のモータースポーツの入り方は、とにかく見て、「あれだったらできるわ」っていうのがあります。2輪も4輪もそう。鈴鹿の第1回ロードレースも見て、「あれならできる」と思った。「あっ、あれなら俺の方が速いな」って、意外と簡単にモータースポーツの世界に入ったんですよね。

日産レーシングとの出会いとは?

僕は16歳からバイクのレースをやっていたんですが、日産が第3回日本グランプリに向けてレースドライバーを探していた。そのオーディションが、鈴鹿サーキットであったんです。それこそ、ロードレースからモトクロスから4輪の人たちも大勢受けにきていた。

オーディションは2回あったけど、僕だけ1回で受かっちゃって。他の人はみんな2回やったのに。その時に受かったのは僕と黒澤(元治)さん、津々見(友彦)さん、九州の髙武富久美(こうたけふくみ)、それと都平健二が同期。それで、19歳の時に日産と契約しました。鈴木誠一さんがリーダー的存在の大森ワークスでしたね。

あの当時、日産には追浜ワークスもあって、同じ時期に田中健次郎さん、北野元さん、高橋国光さんが追浜ワークスのドライバーとして契約していたんです。追浜と大森のふたつのワークスがあって、大森は通称:二軍。次代のドライバーを集めて育てるという感じだった。僕は大森と契約したんです。

オーディションの時の話をもう少し詳しく教えて下さい

先ほどもお話したように日産のドライバーオーディションに1発合格したわけですが、それにはちょっとした秘密があるんです。実を言うと、僕はオーディションの前からフェアレディで鈴鹿サーキットをガンガン走っていたんですよ。

というのも、僕はホンダの2輪チームにいたので、あの頃は勝手に鈴鹿サーキットをいくらでも走れた。加えて、田中健次郎さんがホンダの2輪チームのリーダーで先に追浜ワークスと契約していたでしょ、それで日産からレース仕様のフェアレディを田中さんが借りてきて、鈴鹿サーキットを随分と走り込んでいたんです(笑)。

とはいえ、実際に走った感想も「まぁ、4輪って簡単なんだな」ってところ。タイヤがふたつ増えただけだし、なんたって当時の4輪のレベルは凄い低かったですから。それに比べて、2輪は高橋国光さんが世界選手権に出るなど、凄くレベルは高かったんですよ。

何か特別な練習法があったのですか?

当時は、4輪のドライビングテクニックなんて無の状態。ヒール&トゥすら誰も知らなかった。パワステも無かったし、タイヤも違うし、ハンドルの回し方も今とは違う。勇気のあるヤツが速い時代だったのかな。ハコスカのドリフトだって自然発生的に生まれたテクニックだったしね。スカイラインにしてもフェアレディにしてもオーバーステアだから。

僕ね、信じられないだろうけど、これまで40〜50年ほどモータースポーツをやってきて、練習とかトレーニングは1回もしたことないんです。日産ワークス時代もそうだった。練習とかトレーニングは嫌いなんです。だって順位がつかないもん(キッパリ)。

今でもバイクのレースに出てるけど、練習ナシで即本番。モータースポーツって楽しいですよ。練習とかトレーニングって苦じゃないですか。そういうのが無いから。でも、ドライバーに聞かれるとマズイよね(笑)。だから最近はあまり言わないけど。

モータースポーツと言えば、福島県の二本松にあるエビスサーキットを使ってラリー車の開発を15年くらいやって、本当に楽しかった。できればサファリラリーとかRACに出たかったけど、国内のレースがあったから行けなかった。あっ、パリダカやモンゴルのラリーレイドには出ましたよ。

パリダカだと5〜6時間、全く知らないコースを全開できるじゃないですか。こんな楽しいことはない。しかも15日間も走れるんだけど、ゴールの3日前ぐらいになると「あー、あと3日か」って残念な気持ちになっちゃう。後もう1週間、走れないかなって思うんです。

疲れないんですか?

僕はね。走っている時、ほとんど力を入れない。ラリーのテストでも1週間、それも1日中走っても手にマメを作ったことがないんです。バイクでもクルマでも、とにかく柔らかくハンドル持って、柔らかく走るんです。だからトレーニングの必要もない。

世の中には、そういう人間もいるということを知っておいて欲しいな。でもさ、星野も高橋国光さんもトレーニングをやったことないんじゃないかな(笑)。

昔のF1とかフォーミュラって、シートベルトが無いんですよ。だから自分に合ったシートを造るんです。自分なりに1時間でも2時間でも走って疲れないシートを工夫して造る。疲れない姿勢と、それを維持するシートを造るんです。トレーニングセンター行ってどうのこうのじゃないんですよ。それを見出せば年を取ってもやれるんです。

思い出のマシンは?

やっぱり、2ドアハードトップのハコスカGT-Rかな。クルマとしてのバランスが良かったですよ。

その前の4ドアセダンのGT-Rはフレーム剛性悪いし、超オーバーステアだった。横にばっかり流れて前に進まないんですよ。それがハードトップになってショートホイールベース化されてフレーム剛性も良くなって。だから、横になっても楽しかったですね。あれは傑作ですよ。

伝説のスーパーシルエットについて

スーパーシルエット(グループ5)は最初、僕がレースやろうということで計画したんですよ。最初は、追浜でバイオレットなどに使っていた570psのエンジンを借り受けてやる予定だったんです。

日産プリンスの宣伝部も乗り気で、スポンサーしてくれることになっていた。でも、それだけでは資金が足りなかったのでNPDC(ニッサン・プリンス・ディーラーズ・クラブ)という団体を作って、全国のお店でカンパを募ったんです。

それで、体制もできていよいよ正式に日産自動車の広報に許可を取りに行った。そうしたら、スカイラインだけでなく、シルビアやブルーバードもやらなくてはダメだという話になりましてね。それで3台体制になったってわけ。

クルマはねぇ、アンダーは出る、オーバーは出るで、あんなエアロになった。ストレートは凄く速かった。

それとお客さんはスカイラインがサーキットに帰ってくるのを待ってたんですよね。筑波でお披露目して、次に富士で走った。スタートして1周目でトップになって最終コーナーからストレートに帰ってきたら、スタンドのお客さんが総立ちになってました。

僕はコクピットからそれを見て本当に感動しました。お客さんが総立ちになるなんてレースはこれまで無かった。それだけスカイラインを待ってたんですね。

好きな駆動方式は?

僕は世界で1番FFが嫌いなドライバー。アンダーステアで意思通りに動かない。昔のチェリーもLSDは入っていたけど、効かせ具合が難しかった。強いとアンダーだし、弱いと空転しちゃうしね。

4WDも基本的にアンダーだから嫌でした。やっぱり、クルマはFRかミドシップに限ります。だってF1はミッドシップでしょ。あれが最高ですよ。

グループAは4WD。GTはFR。JTCC(グループAの後に行なわれたツーリングカーレースで、プリメーラやサニーなどFFセダンで行なわれたレースシリーズ)はFF。

プリメーラも最後の頃は改造がエスカレートして、一番前にミッションがあって、そしてエンジン、ドライバーの順番。そんなレイアウトのFFは世の中には存在しないでしょ。けれど、あそこまでやると乗りやすくなるし、速かったですよ。でも世の中にないものでやってもねぇ…。操るという意味ではやっぱりFRが楽しいですよ。今でもね。

●取材協力:ハセミモータースポーツ 神奈川県愛甲郡愛川町中津6758 2F TEL:046-286-3801

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