「リバティーウォーク加藤渉の生き様」シャコタンコヤジが自身の半生を振り返る!

公開日 : 2020/07/12 11:00 最終更新日 : 2020/07/12 11:00


大切にしているのは「どこまでいけるか」という気持ち

 

カスタム業界の風雲児がこれまでの人生を振り返る!

 

子供の頃からクルマ好きだったのかというと、実はそうでもないんだよね。というのも、中学から高校時代はバイクばっかり、クルマに興味を持ちはじめたのは18歳くらいから。だから、クルマ業界で有名になって世界に進出するなんて、想像もしていなかった。

 

でも、僕の通っていた地元の高校では、卒業式になると不良の先輩たちが校門の前にクルマを並べるの。ハコスカとかケンメリとか、シャコタン仕様がズラ〜っと。それがすっごくカッコ良く見えて「自分も卒業式に乗り付けるぞ!」って。それが、クルマに興味を持った最初(笑)。

 

で、高校に通いながら免許を取って、卒業式に間に合わせるためにクルマを買っちゃったわけよ。

 

 

最初の1台は、ブタ目のマークII。ケンメリが欲しかったけど高すぎてね。買った直後に先輩に手伝ってもらいながらシャコタンにしちゃった。まぁ、すぐに飲酒運転のクルマに突っ込まれて、廃車になるんだけどね。笑い話じゃないけど、その時の示談金で新しくケンメリが買えたから結果オーライ。ある意味、強運伝説の始まりはここからかもしれない。

 

高校を卒業してからは、特に目標もなく、色んな仕事を経験した。最初の就職先はセラミック工場。部品を組み立てる単純作業でね。やる気もないから3ヶ月で辞めちゃったけど、それから水道屋や生コンのトラック運転手をしながら牧場でバイトしたり…、8ヶ月くらいの間で転々としたね。

 

 

結局、給料が良い牧場での仕事に落ち着きそうだったんだけど、あの仕事ってクルマの中がどうしても臭くなるの。友達を乗せるたびに言われちゃって、ちょっと嫌になってきていた。

 

さらに、当時付き合っていた彼女(今の奥さん)の勤め先には金持ちがいっぱい出入りしていてさ。ポルシェやフェラーリなんかの高級車に乗っている人を見ていたら、僕もそういうクルマが欲しくなった。そして、導き出された結論が「クルマ屋で働けば良いクルマが安く買えるかも」って。浅はかな気持ちで、また転職しちゃった。

 

 

こうして、21歳で初めてクルマ業界に入ったわけ。最初に入ったのは輸入車専門店なんだけど、すぐにそのお店のトップセールスマンになっちゃって。2年くらい働いた時だったかな、実力を買われて知り合いのお店からスカウトされてさ。で、転職したの。

 

次のお店はアメ車専門店だった。当時は、アストロとかカプリスとかバカ売れしていて、仕入れても納車が追いつかないほど。僕はローンを組んでカマロを買って乗っていたんだけど、そのクルマを欲しいっていうお客さんがいて売ったんだ。会社もOKしていたから、その後もお店を通さないで何台か乗って売ってを繰り返したんだけど、そうした中で中古車ビジネスを学んでいった感じかな。

 

最終的には、そのお店の経営が立ち行かなくなってさ。独立せざるを得なくなり、乗っていたカマロを売って26歳の時にリバティーウォークを立ち上げることになったんだ。

 

 

ちなみに、リバティーウォークって名前は地元の先輩が付けてくれたんだけど、元々はリバティーって名前にしようと思っていたの。でも、その先輩が「お前の渉って名前は、漢字に歩くって文字が入っているからリバティーウォークにしろ」と強引に決めちゃって。

 

当時はなんのこっちゃって思っていたんだけど、リバティーって言葉だけじゃ他の店名にもありそうだし、自由に歩き回っている僕の人生を考えると、案外的を射ていたんじゃないかな。今では、この名前を付けてくれた先輩に感謝していますよ。

 

 

こうして500万円の元手(ローン残ってたから借金だね笑)からスタートしたリバティーウォークだけど、当初は店舗を借りて250万円で事務所を改装しちゃったもんだから、残りのお金で在庫車を仕入れなきゃいけない。

 

しかも、信用もないからローン会社がお客さんに提示する金利は、12.5%の超高利。今考えると、こんな金利の高いお店じゃ中古車屋さんとして商売にならないと思われるけど、それでも頑張って売りまくったよ。

 

スタートが500万円だから、5000万円溜まったらもっと大きく展開しようと思っていたんだけど、結局は3年くらいで目標金額が溜まって、今ある店舗の一部を借りて拡大したんだ。

 

 

リバティーウォークが軌道に乗り出して、ちょうどスーパーカーを扱い出した時期だったかな。クルマの販売に疲れてきちゃってさ。旧友たちからも「お店に行きにくい」なんて声が聞こえてきて…。その時に思ったのが、みんなが気軽に立ち寄れるアミューズメントパーク的なクルマ屋があっても良いんじゃないかってこと。単なるスーパーカー屋じゃダメって気付いちゃったんだ。

 

ダメついでに言っちゃうと、日本ってクルマを改造するとすぐにその価値が下がっちゃうよね。ユーザーに改造させるだけさせておいて、お店側は買取時に改造車だからって足元を見るなんてことはザラ。これじゃ、業界としてダメだよね。改造車にもっとブランドバリューを持たせれば、付加価値をつけてリセールが可能になるんだよって、そんな風に変えなきゃいけないんじゃないかな。

 

 

元々は改造車好きの僕、カッコ良いクルマなら高くても欲しいもん。その思いもあって、LBパフォーマンスやLBワークスをブランドとして誕生させたんだ。

 

きっかけを作ってくれたのは、ランボルギーニを買ってくれた古くからの友人のひとり。「もっとカッコ良くしたい」と相談してきたことで、ムルシェラゴのボディキットを作ることになったんだ。これがLBパフォーマンスの誕生に繋がって、そのまま2009年のSEMAショー出展にも結びつくんだけど、ビジネスとしては成立しなかった。

 

 

そこで改めて2012年にSEMAショーへ送り込んだのが、日本の伝統“ワークスフェンダー”を装着したLBワークス・ムルシェラゴ。何千万円もするムルシェラゴのフェンダーをぶった切ったことは賛否両論だったけど、注目を集めることになった。

 

ちなみに、ムルシェラゴのワークスフェンダー1号車はアメリカで作ったんだけど、RWBの中井くんがパフォーマンスとしてフェンダーカットを行なったんだ。その時に撮影した映像の効果もあって、SEMA会場では拍手喝采の評価が得られた。大げさかもしれないけど、改造車ブランドとして、LBワークスの付加価値が認められた瞬間だと思う。

 

 

その後はご存知の方も多いかもしれないけど、フェラーリやGT-R、アヴェンタドールなどをリリース、2020年からLBシルエットGTブランドも立ち上げてみた。同時に店舗も拡大して、みんなが気軽に集まれる空間作りも実現しつつあるよ。

 

急成長したから、最終目標を聞かれることも多いけど、僕にとって可能性は無限大。目標を作ってどこかで終わりじゃなくって、どこまでイケるかを試している最中。もちろん、自分ひとりじゃ達成できることは少ないし、どんなことでもみんなで楽しんでいきたいよね。

 

 

そんな中でクルマ好きな若い子たちをもっと引っ張っていって、改造車の文化を広げていければベスト。また、最近ではLBファームなんて農業体験や、インターネットラジオの発信なんてこともやっているんだ。何事も挑戦してみないと! だから僕は歩き続けるよ。いつまでもね。

 

●取材協力:リバティーウォーク TEL:0561-51-0001

 

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