【新型スープラ開発秘話 PART.1】開発責任者 多田哲哉氏インタビュー

公開日 : 2018/09/01 13:46 最終更新日 : 2018/09/21 00:29


2018年7月にイギリスで開催されたモータースポーツイベント「グッドウッドフェスティバル」で、ついに新型スープラの市販プロトを走らせたトヨタ。徐々にその片鱗を見せはじめる新世代スポーツに我々の期待は高まるばかりだが、今回はその核心に迫るべく新型スープラの開発責任者である多田哲哉氏に緊急インタビューを敢行。聞き手はオプション最高顧問である稲田大二郎だ。

 

 

 

 

2019年春、完全復活。

 

稲田:多田さんとボクがはじめて会ったのは、もう10年以上まえになりますかね。

 

多田:2008年ですね。86の開発プロジェクトが立ち上がって。ボクが担当することになったのですが、当時はどうしていいのかわからなくて。なんせ、長いことトヨタがスポーツカーの開発を中止していたときでしたから。そこで、だれか社外の有識者に相談しようってなって。で、ヒストリックカーガレージを作った矢藤さんに相談したら「それは稲田さんしかいないよ!」と言われたんです。

 

稲田:そうでしたね。スポーツカー受難の時代によくやるなぁって驚いた記憶があります。同時にうれしかった。ボクたちが乗れるようなスポーツカーがなかったときでしたからね。

 

多田:「クルマ好きのかたがたにとって現実的な価格帯で、かつカスタマイズできるようなスポーツカーにしてほしい」。そんな稲田さんの言葉が強く印象に残りました。まぁ、いまでこそトヨタはそういうことを理解できるようになりましたけど、あの当時はそんなこと言ったら「おまえ、なに言ってるんだ!」って怒られるくらいでしたからね。いや、トヨタだけじゃなくて日本の自動車メーカー全体がそういう流れだった。お客さんが勝手にクルマを触るなんてとんでもない、改造したら整備も受け付けない。そんな時代でした。黙って乗ってろみたいな…。恥ずかしながら、ボクら開発もそれが当然だと思っていましたから。でも、そうした態度こそが日本の自動車文化をつまらなくしていったんです。お客さんはクルマをただの移動手段としか認識しなくなっていって、それまで一生懸命クルマと向きあっていたチューナーさんたちも活気を無くしていって…。そういう状況下でスポーツカーを作るのは本当に大変だった。でも、稲田さんの言葉でボクは前に進むことができたんです。

 

稲田:ボクはね、最後まで信じてなかったですよ。トヨタが本当にスポーツカーを作るなんてことをね。

 

多田:稲田さんと話したなかで、いちばん印象に残っているのはAE86の話題でした。ベースはとくべつすごいわけではないけど、世界中のチューナーさんたちがカスタムしてくれて何十年も愛される存在になった。あれでいいんだって。ボクらはあくまでベースを提供するだけで、余計なことはしない。そこから先はみんなが好きにしてくれればいい。そう思えるようになったんですよね。

 

稲田:そんな考えをしてくれる開発主査は多田さんだけですよ。現代に86が誕生したのは多田さんがいてくれたおかげ。多田さんって、きっとトヨタのなかでは変人なんだろうなー。

 

多田:いやぁ稲田さんに怒られましたもん。「あれもできん、これもできん、それじゃあ何もできないだろ!」って。気合入れてやれみたいに檄を飛ばされましたしね。

 

 

 

 

画像加工によって新型スープラ・グッドウッド仕様の偽装を外した状態。ほぼこれに近いスタイリングで市販されるのか!?

 

 

 

走る楽しさを徹底追求した「直感ハンドリングFR」をコンセプトに、スバルとの共同開発によって誕生した86。開発主査をつとめた多田さんは、開発前にDaiの元を訪れていろいろとヒントをもらったという。

 

 

 

多田哲哉(ただ・てつや)

1957年、愛媛県生まれ。

トヨタ社内でテストドライバーの「S2運転資格」を所有する唯一のチーフエンジニアだ。

ラウム、パッソ、bB、ラクティス、WISH、アイシスなどのチーフエンジニアを勤めたのち、

2007年に開発責任者としてスバルと共同で86を創出。そして2012年から新型スープラの

開発責任者に抜擢され現在に至る。

 

 

稲田大二郎(いなだ・だいじろう)

1947年、長崎県生まれ。言わずと知れたオプショングループの最高顧問にして

生粋の最高速ジャンキーだ。チューニングカーの普及に人生の全てを賭けており、

東京オートサロンの前身となるエキサイティングカーショーの発起人でもある。

最近のマイカーはドリフト仕様のS15シルビアだ。

 

 

 

【新型スープラ開発秘話 PART.2】へ